このページは、私の日本国内にいた頃の個人的なエピソードなど体験や見聞したことを、関西人の感覚で書いたよもやま話です。 笑っていただいてストレス発散の一助となれば嬉しいです。

平成のサムライ 留学&米国生活よもやま話

日本国内編 その1  2005年6月12日更新

1歳の頃: 私は両親ともに理容師の、散髪屋の次男として生まれました。 この写真は兄の七五三の時のものです。

一見幸せそうに見える私(白いベレー帽)ですが、なんと普段は乳母車に乗せられ、店の横手にほっておかれていたのです。 長男は祖母が子守をしていました。 母いわく「通りかかった人があやしてくれてたよ」・・・ってそういう事やないやろ。 あぁなんという長男との扱いの差。

今だったらチャイルド アビュースですがな。

小学生の頃: 腸が弱くよく下痢をしていたらしい私は、ある日母親から「大阪に美味しいもの食べにいこか」と言われ、喜んでほいほいついて行った。 なんと着いたのは「むりょう寺」(漢字不明)というお寺で、お灸をすえるお寺だった。 そのお灸というのがデカイ。 直径1.2cm長さ2cmはあろうかという巨大なお灸だ。 

わけもわからず座らされて前にある竹の棒を握らされた。 そうして腰の両側にそのバケモノのようなお灸を付けられたのだ。 最初は熱くないので「たいしたことないな」と思っていたのだが、そのうちに段々と熱くなってきたので根性なしの私は逃げ出そうと思った。

その時である。 隣に座ってお灸を受けていた知らないお爺ちゃんが「いや〜僕えらいなぁ。 小さいのによく我慢してるなぁ〜。」と話しかけてきたのだ。 逃げ出すタイミングを失い、ほめられていよいよ逃げ出せなくなったカワイソウな僕は、ただ竹を握りしめ、歯を食いしばって耐え続けたのである。

そんなエライ目にあったのに後に鍼灸師になった私だから判ったのだが、あれはわざと水膨れ(水疱)を作って化膿させることで身体の免疫力を高める「だ膿灸」と言われるお灸であった。 どんな症状であっても大腸兪という腰の両側にあるツボをつかうのであった。

そんな訳で腰にお灸の痕がバッチリ残った私は、体育の時など着替えるたびに友達にそれを見られ、「お前寝小便するんだろ」などと言われたものだ。 その度に「違うわい、腸が弱いんや。」と自慢にもならない事を大声で言い返すのであった。 今時こんなお灸したら患者に訴えられるに違いない。 

またある日、学校から帰宅した私に母が「今日から剣道を習いに行きなさい」と突然言い出した。 まあ、松下家は武士の子孫であるから当然といえば当然だが、当時小学3年生の私には「なんでやねん」としか思えず、「いやや」と言い返した。

すると母は「じゃあお前はもううちの子じゃないから家から出て行きなさい」と言ったのだ。 そう我が家に民主主義はなかったのだ。 私は泣く泣く学校へ戻り、体育館で行われている剣道の道場の門をくぐったのである。

思い起こせば、買い物に付いていってお菓子や玩具が欲しくてねだった時も、「買って買って」と地べたに座りこんで泣き叫んでも母は「そこでそうしていたかったら、ずっとそうしていなさい」と私を置き去りにしてスタスタと去っていったものだ。 絶対に買ってくれなかったように記憶している。

あぁなんという母の愛・・・。

高校生の頃: 高校生になった私はなんと自ら進んで極真空手に入門した。 まあ早い話がまんがの「空手バカ一代」に影響されたからだが・・・。 学校でも手や足に鉛の重りを付けて、授業中も机の下で鍛錬に余念がなかった(授業に熱心でなかっただけ?)。

ただでさえ顔が怖いのにそんなことばかりしているものだから、3年生の時のクラスは47人中女子が41人という状況でありながら、まったく女子が寄り付いてこなかったものだ。

帰宅してもすぐに空手着に着替え、サンドバッグを担いで、片方で5kgの鉄下駄を履いて近所の神社の境内に稽古に行っていた。 しかし、下駄というものは足の幅より広いので、時々その鉄下駄で反対側の足の内くるぶしを思いっきり蹴ってしまい、余りの痛さに目に涙を浮かべてうずくまっていたものだ。

そんな私の様子を見ていた近所の商店街の人達は「アホちゃうか」と思っていたに違いない。 後に鍼灸師と柔道整復師の免許をとって自宅の散髪屋を改装して鍼灸整骨院を開業しても、彼らはけっして私を先生とは呼ばなかったし、治療を受けにくる者も少なかった。 ま、仕方ないかも。

明治東洋医学院の頃: 私が勉強というものの面白さを知り、一生懸命勉強するようになったのは鍼灸の勉強を始めてからのことだ。 勉強法にも興味が出てきて様々な方法を試してみた。 最も役に立たなかったのが睡眠学習法というやつだ。

鍼灸といえば経穴(ツボ)がつきものだが、これは全身に365穴以上もあり、その名前と漢字、所属する経絡、解剖学的な位置、主治、その関連する神経、筋肉、血管などをそれぞれ覚えなくてはならない。 そこでツボの記憶に睡眠学習法を活用し、カセットテープにそれらの情報を録音して寝ながら聞いてみた。 すると翌日のクイズでエライ目にあった。 さっぱり思い出さないのだ。 私は眠りながら覚えた事は、寝ないと思い出さないのではないかと思う。

柔道整復科に入学すると柔道の時間があった。 今はそうではないらしいが当時は必須科目だったのだ。 師範は天理大学出身の上瀧五段という先生で、武道家と呼ぶに相応しい素晴らしい人であった。 黒帯を目指していた私は熱心に稽古していたこともあって可愛がって頂いた。

稽古は楽しく充実していたが、乱取りの時に上瀧先生から「松下くんやりましょうか」と声を掛けていただき胸を借りることがしばしばあった。 最初は私に好きなように技を掛けさせて下さるのだが「残り1本(1分のこと)です」という時計係の声がすると、「じゃそろそろいきますよ」と言うが早いか先生が技を掛けてくるのだ。 そうなると私の足が畳についている事はもはやなく、何をされたのか分からないうちにバーンと畳に投げつけられているのだ。 

そして寝技の時は、自分がどんな格好をしているのか分からないくらいにひっくり返されるのであった。 そのお陰で無事に黒帯になれたが、何にせよ実力差というものの存在をいやという程認識させられたものだ。 私は顔は怖いが気持ちは優しい(本当)ので格闘技には向いていないのだと思ったりします。



鍼灸整骨院研修の頃: 私が研修生として修行させて頂いていたのは大阪府守口市にある川端鍼灸整骨院であった。 その当時は私を含めて3人の助手がおり、その中に関西鍼灸短大卒の鍼灸師Nくんがいた。

彼は従来の風習に拘らない性格で、徒弟制度と厳しい上下関係などの影響をまだ残していたこの業界に新風を吹き込んだ。 それまで朝の治療所前の道路の掃除は新人の仕事と決まっていたが、ある寒い冬の朝に彼はこう切り出した、「松下さん、外の掃除はジャンケンで決めましょう」。

私が「昔から新人の仕事と決まってる」と言うと、「そんなんおかしい。 公平にいきましょう」と言って引き下がらない。 とうとう彼のゴネ得で、その日からジャンケンで決めることになった。 そして寒い日に限って私が負けるのだった。


クモ: また、Nくんは度胸がいいというか酒を飲むと大阪のミナミでヤOザと喧嘩する位の根性がある男なのだが、虫にはめっぽう弱いのだった。 特にクモにはまったく駄目で、どんな小さなクモでも見つけると「松下さんクモや、クモが出た」と大騒ぎをするのだ。

不思議に思った私が「何故そんなにクモが怖いんだ」と聞くと彼はこんな話をした。 彼の実家は奈良で、家には和室に縁側があり庭へと続く部屋がある。 ある日、彼がその部屋で寝転んで新聞を読んで居た時、畳の上を1匹のクモがノソノソ歩いていた。 そのクモは足を広げると6〜7cmのベージュ色のようなクモで、彼はそれを見つけると新聞を丸めてバシッと叩き、ティッシュペーパーで包んで庭に投げ捨てた。

そうしてまた新聞を読んでいたが暫くして彼は足で何かがゴソゴソして少し痒い感じがした。 彼が新聞から足のゴソゴソした方に視線を移すと、そこにいたのである。 数本足が折れ、ティッシュペーパーを引きずりながら、あのクモが彼の足を上ってきていたのだ。

「ギャー、おか〜ん(関西弁で母のこと)、助けてくれ〜」彼は叫ぶだけで身体は硬直し動けなかったという。 その日以来、彼は虫、特にクモが怖いのだそうだ。 クモを見つけると私を呼びこう言うのだ、「確実に殺してや。 クモは復讐にくるから・・・」。


おなら: ある土曜日のこと、仕事が終わってからNくんと千林商店街をぶらついた後、大阪にでも行こうということになり京阪電鉄の千林駅の淀屋橋方面のホームに行った。 各駅停車の普通しか止まらないのでホームにあるベンチに腰を下ろして電車を待ちながら彼と話をしていると私は急におならがしたくなった。

暫く我慢していたが、おならを我慢することは健康上よくないし、ホームという屋外にいるのだから誰の迷惑にもならない。 気付かれないようにさえすればよいのだ。 そう思った私は「すかしっ屁」に挑戦することにした。

Nくんとの話は適当に聞き流しつつ自分の肛門に神経を集中し、そっとそれを放出するように心掛けた。 しかし、出てしまったのである、音が・・・。 ベンチはプラスチック製の座面の中央に水が溜まらないように穴が開いている屋外用のものだったが、その構造がまた私を不幸におとしいれたのだ。

理屈は分からないが、その座面の穴で反響した音が強調されたのかプーではなくパーっという私の屁の音がホームに、いや反対側のホームにまで響き渡ったのだ。 「しまった」と思ったが、今更後の祭りだし、何より私だという証拠はどこにもないのだから周囲の人には分かるまいと考えたその時だった。

隣に座っていたNくんが、自分だと思われては迷惑だと思ったのか大きな声で「松下さん、こんなとこでそんな大きな屁したらあかんがな。 パーって。」と言ったのである。 私は周囲の目に晒される羽目となり、普通なら「穴があったら入りたい」と言うところだが、私は「このベンチに穴さえなければ」と思ったものだった。


鼻血: 私は鼻の粘膜が弱いのか、時々理由もなく鼻血が出ることがある。 それも決まって左側から。 ある日のこと、いつものように仕事をしていると急に左の鼻に違和感を覚えた。 「あっ鼻血だ」と思った私は、その時治療していたお婆ちゃんに「ちょっと失礼します」と言うが早いか鼻をつまみながら2階の控え室に駆け上がりティッシュペーパーをつめて処理をした。

そして治療室に戻ってまた治療を続けたのだが、Nくんと目があうと彼は何やらニヤニヤしている。 暫くすると彼は私に近づいてきてこう言ったのだ、「いくら女にもてないからって、お婆ちゃんで鼻血出すようになったらしまいやな」と。 「あほ〜。 興奮して鼻血出したんと違うぞ」と言い返したのだが、内心では「若い女性の患者さんの時でなくて良かった」と思ったものだ。 もしそうだったら何を言っても信じて貰えないかも知れないから・・・。


よだれ: 私が川端先生の所を退職させて頂いた後、田舎から新しい見習いの助手Aさんが入った。 その子は少しポッチャリした体型だったらしく、口の悪いNくんにしばしば悩まされていたという。 ある日、彼女は我慢の限界が来たらしくNくんに抗議した。

Aさん: N先生、あんまりブタブタって言わないで下さい。 私だって女の子なんです。
Nくん: ・・・・・・・・。
Aさん: 毎晩枕を濡らしているんです。
Nくん: なんや、よだれか?

二人の助手の様子を見守っていた院長先生も、この「よだれか」には思わず吹きだして笑ってしまったとか。


頭突き: 私の友人に東大阪のH先生がいるが、彼が研修生(助手)だった頃のお話。 接骨院では電気治療などと共に後療と呼ばれる手技を行うが、これはマッサージと同じように患部の硬結や緊張などをほぐす手技である。 H君が勤めていた接骨院では、首肩に後療を施す場合は患者は治療台に仰臥位(あおむけ)で寝て、施術者は患者の頭の方に椅子を置きそこに座って患者の頭の側から首などをほぐすようにしていた。

しかし、接骨院の助手というのは、朝晩助手として働き、昼に学校に通っている柔道整復師の卵(学生)であることが多いので、過労と睡眠不足が常である。 ある日助手のA君は、前述の方法で患者の首をほぐしていた。 しかし、A君をもの凄い睡魔が襲って来たのだ。 私の友人H君が何気なくA君を見ると、なんとA君は目を閉じている、しかし手は動いていて患者は気持ち良さそうに目を閉じていた。 気になったH君がA君を再び見ると、なんとA君はコックリコックリと船を漕ぎ出しているではないか・・・。

これはマズイとH君は思ったが、その瞬間、なんとA君は大きく前に傾き、患者の顔面にバーンと頭突きを食らわしたのだ。 そして、そのショックで目が覚めたA君はハッと我に返り、驚いて目を見開いている患者に向かって、いつも患者に手技の力加減を訊ねるようにこう言った。

A君: この位の加減でどうですか?
患者: ・・・・・・。

それを目撃したH君はこう思ったそうだ。 「そんな加減(頭突き)で良い訳ねえだろう!」

そしてこの話には後日談がある。 

その後、またある日に同じ患者をA君が施術することになった。 同じように施術をしているとA君はまたもや眠気をもよおしてきたのだ。 少しコックリコックリしだしたA君を見て、「これはまずい」と思った私の友人H君はA君を起こしにいった。 カーテンの向こうに回り、A君を起こそうとした時、H君が見たものは・・・・。

あおむけの姿勢のままでA君のほっぺたにビンタをいれようとしている患者さんだった。 

そりゃそうだろう。 誰だって二回も頭突きを食らわされたくはないものだ。


だったら訊くな: またまた友人のH君の勤めていた整骨院でのお話です。 その整骨院では、後療という手技を患者さんに施術している時、手技の強さが適当かどうかを患者さんに確認する決まりになっていました。 ある日のこと、H君が何気なく耳にした同僚の助手A君と患者さんのやりとり:

A君: もし強かったら言って下さい。
患者: 先生、ちょっと強いんですけど。
A君: 我慢して下さい。
患者: ・・・・・・・。

それを聞いていた私の友達のH君は、「だったら訊く意味ないやんけ」と心の中で突っ込んでいたそうです。


おなら 2: 今度はH君本人の話です。 患者さんが鍼灸の治療を受ける場合は、服を脱いでもらうためにカーテンで仕切られた場所で行います。 ある日のこと、H君は鍼の施術中におならがしたくなりました。 そこで「すかし屁」に挑戦し無事音を出さずに屁を出すことに成功したのです。

しかし、臭いがあるとは思っていなかったのですが、その日のおならは自分でも気分が悪くなるほど臭かったのです。 すると、患者さんは腹臥位(はらばい)の姿勢で鍼を受けていたのですが、やおら鼻をクンクンいわせて臭いを嗅いでは、しきりに首をかしげていたそうです。 まるで「なんか屁のような臭いがするけど、何故だろう」とでも言わんばかりに・・・。

それを見てH君は「この隔離された空間に貴方と私の2人がいて、屁のにおいがして、貴方でなければ私に決まってるじゃないか・・・そんなに首をかしげて考えなくても」と心の中で思いながら、患者さんには「じゃあ、しばらく置鍼しておきますから、楽にしていて下さい」と言い残し、素早くその屁臭い空間を立ち去ったそうです。

逃げられない患者さんは可哀想・・・。



| 戻る | よもやま話国内編その2へ | ホーム |

©2005 MASAHIKO MATSUSHITA, DC, LCP All rights reserved.

そんな訳ないだろう: 私達の小学生の頃は子供が多く、教室が足りなくてプレハブ教室を建てて不足を補っていたものだ。 そんなある日、検尿があり、透明の容器におしっこを入れて提出しなければならなかった。 しかし、誰だったか忘れたが、「持ってきたはずの検尿の容器がない」と騒いでいた。 その時は再提出かなにかの処置がとられたらしく、何事もなかったかのように話は終結した・・・・。 

ところが、学年も終わりに近づき教室の大掃除をしていた時、その事件が起こったのだ。

ロッカーの片隅から、数ヶ月振りにあの検尿の容器が発見されたのだ。 それはやや分離して汚濁が下の方に沈殿していた。 そしてなぜか緑色の球状のものがその中にできていた。 それを見てクラスの誰かがこう言った。

「マリモや、マリモが入ってる。」

すると他の男子も「ほんまや、マリモや」と言っていた。

私は「そんな訳ねえだろう」と思ったが声に出す勇気はなかった。 あれは一体何だったのだろうか。