
このウエブサイトの主はサムライである。 「この21世紀になんと時代遅れな」と思う方もいらっしゃるだろうが、本人は至って大真面目、武家の出であることを誇りに思い、それを公言して来たこともあり米国人のドクターからは「サムライDC」と呼ばれている。 武門の印である家紋をクリニックのシンボルマークにしてしまった位だから、かなり本気であることはお解かり頂けるでしょう。
そんな平成の侍がアメリカで体験し、見聞したエピソードなどを紹介するエッセイ風のページです。
日本国内編のよもやま話はこちら。

3. 自動車運転免許: ようやくソーシャルセキュリティーナンバーのカードを受け取り、次に私が取り掛かったのは運転免許の取得です。 日本から国際運転免許を発行してもらい持参して来たのですが、アメリカでは自動車運転免許証が最も一般的に用いられる身分証明書でもあるので、早急に取得したかったのです。
友人にドライバーズ オフィスと呼ばれる免許や車のナンバープレート(米国ではライセンス プレート)などの手続きをする事務所に連れて行ってもらいました。 米国の道路交通法規をまったく勉強していないのに、「簡単だから受けてみれば」と勧められ、受けてみることに・・・結果は1点足りずに不合格。 日本とは違う道路交通標識さえ勉強していたら合格していましたから、そんなに難しいものではありません。 教本を貰って帰って、その夜は勉強しました。
翌日、再挑戦で無事満点の合格。 その日に続けて運転実技試験を受けました。 州によって異なるのかも知れませんが、イリノイ州では日本と違って試験で使用する車は受験者が用意しなければなりません。 私は連れていってくれた友人の車で受けました。 試験といっても、試験官の指示に従って一般道路を走るだけです。 10分位で終わり、問題なく合格。 日本のようにコースで縦列駐車、S字クランク、坂道発進などといったものも一切ありません。 私は高校生の頃に取った原付に始まり、自動二輪(中型)、大型特殊自動車、第1種大型自動車免許などを日本で持っていましたから、米国の試験は日本の100倍簡単ではないかと思った位です。
しかも、免許の費用は1996年当時で確か$20だったと思います。 安い! そして写真を撮影するときに係官から「はい笑って」と言われるのにビックリ。 日本じゃ正面を向いて無表情が基本なのに、突然笑えと言われても・・・。 出来上がった免許の写真で私は、引きつった顔で笑っていました。
2. ソーシャルセキュリティーナンバー: 夕食をご馳走になり、留学生の心得や、アメリカでの注意点などのアドバイスを頂き、一泊お世話になって翌日24日にいよいよカイロプラクティックの源泉パーマー・カイロプラクティック大学があるアイオワ州ダベンポートに向かって出発である。 出発に先立って上村DCから「これから英語浸けの生活が始まる。 日本語が恋しくなったらこの本を読みなさい。」と3冊の本を頂いた。
そしてLAを発ち、イリノイ州モーリーンにあるQuad-City Airportに到着。 空港にはBlack
Hawk College の教授で留学生担当の鈴木先生と斎田DC(当時はまだプレ・カイロ課程の学生)が出迎えに来て下さっていた。 そして斎田DCが私を連れて行ってくれたのは、その日から私がお世話になるホスト・ファミリーのガーモン家であった。 小高い丘の上にあるその家は、隣が大きな墓地で静かな勉強には最適の環境であった。 私を出迎えてくれたのは、ホスト・マザーのフリーダと犬のデューク、猫のタイガーだった。
翌日、早速ESL(English as Second Language)という英語が母国語でない者を対象とした英語のコースを取るBlack
Hawk College に行き、挨拶や様々な手続きをした。 しかし、アメリカではソーシャルセキュリティーナンバー(社会保障番号)という個人識別番号が何をするにも必要なのだ。 銀行に口座を開いたり、自動車の運転免許を取るにも必要だった。 これから8年の計画でカイロプラクティック留学を遂行するに当たって、ソーシャルセキュリティーナンバーの取得は最優先事項のひとつであった。
周囲の日本人や、留学生を多数世話して来たホスト・マザーのフリーダから、「ソーシャルセキュリティーナンバーは手続きして1週間位で取れる、簡単よ。」と言われていたので安心していたのだが、それがそう上手く行かないところがアメリカであると思い知らされることとなる。 1996年に規則の改定が行われたらしく、しかもその周知徹底が適当なアメリカでは窓口の担当官の気分一つで対応が全然違うのだ。
大学から指示されたように手続きする為にソーシャルセキュリティーオフィスに行った私は、申請書類に必要な事項を記入して提出した。 すると窓口の黒人女性担当官は面倒くさそうな口調で、「留学生が何故ソーシャルセキュリティーナンバーが必要なんだ?」とか「公的機関からの郵便物で現住所を証明しろ」などと言い、書類を受理しようとしない。 私はまだ英語が十分に話せない(これからESLを取る学生なのだから)ので、一緒に付いて来てくれたフリーダが説明してくれるのだがらちが明かない。 「運転免許を取るので必要だ」と言うと「じゃあ、先に運転免許のオフィスに行け」と言われる始末だ。
仕方なく運転免許のオフィスに行き、免許証取得の手続きをしようとすると「ソーシャルセキュリティーナンバーが必要だ」と言われる。 ここでも事情をフリーダに説明してもらうが、結局ソーシャルセキュリティーナンバーが先に必要ということで、またソーシャルセキュリティーオフィスに戻ることになる。 ところが、またまた窓口の黒人女性担当官は、あーでもないこーでもないと書類を受け付けない。 最終的にBlack Hawk College の教授で留学生担当の鈴木先生から大学の公的な手紙という形式でソーシャルセキュリティーナンバーが必要であると書いて頂き、それを添えて書類を提出し、ようやく受理された。
英語力が無い上、まだ免許も車も持っていない私だから、ホスト・マザーのフリーダや周囲の先輩日本人留学生にお願いして連れて行ってもらわなければならなかった状況で、なんとソーシャルセキュリティーナンバーひとつ申請するためだけに、ソーシャルセキュリティーオフィスと運転免許のオフィスに6回ずつ通い、1週間以上の期間を費やしたのである。 その後、Black
Hawk College に来た日本人留学生でソーシャルセキュリティーナンバー申請の為にそんな酷い目に遭った者の話は聞かない。 運が悪かったのか、アメリカの労働者の質が低いのか、何が原因かは分からないが、初っ端から散々な歓迎であった。
アメリカに敬意を表すために、アメリカ国旗の星条旗の柄のポロシャツを着て手続きに行ったというのに、そんな私の想いはむなしく空回りし、道化師と化していたのでした。
1. 電話が掛けられない: 1996年4月23日、故郷日本を発ちカイロプラクティック留学の為アメリカへ。 その第一歩を印したのがカリフォルニア州ロサンゼルスであった。 空港に降り立った私は、拙い英語でなんとか入国審査と税関を通り、やっとの思いで空港のロビーに出た。 そこで迎えに来て下さるパーマー大学の大先輩である上村DCに電話をしなければならないのだ。
おもむろに手帳を取り出し、上村DCのお名前と電話番号を確認して、電話機の前に立つ私は25セントのコインを4枚程投入した。 市外局番から電話番号をダイヤルすると、何やら録音された様な女性の声で1だの0だのがどうしたこうしたと英語で(当たり前だが)訳の判らないことを言っていて、一向に電話が繋がらない。 市外局番がいらなかったのかな、と思い、一旦切って今度は電話番号だけダイヤルしてみた。 同じように0がどうした1がどうしたと言っているが、私の乏しい英語力では聞き取れない。
どうにもこうにも困った私は、近くを通る日本人らしき人に日本語で話しかけて助けを求めた。 「迎えを呼ぶために電話を掛けたいのですが、掛け方が悪いのか繋がらないのです。 申し訳ないのですが、掛けて頂けませんか?」と。 快く引き受けて下さり、電話を掛けて頂いたので無事に上村DCと話すことが出来た。
日本では市外局番を電話番号に加えてダイヤルすれば自動的に市外への電話として繋がるが、どうやらアメリカでは市外局番だけでは駄目で、市外局番の前に0か1をダイヤルする必要があるらしいのだ。 それを早速初日に学んだ私は「一体なんのための市外局番やねん、0やら1やら押さんでも市外局番だけでエエやろ。」と自分の英語聞き取り能力が無いことを棚に上げて怒りまくっていました。
電話ひとつとってもシステムが違うので、英語力が乏しい私にはストレスの元となるアメリカ、こんな事で本当に留学が成功するのでしょうか・・・。 こうして無謀とも言える私のカイロプラクティック留学の第一歩がスタートしたのです。
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